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ちょっと前に触れましたが8月のスクーリングの時、一日休みを多くとって史跡巡り~。 というか単に萱野さんの実家とお墓が京都から1時間くらいで行ける距離だったので「これは行きたい!」と密かに計画を練ったのでした。 萱野さんは大阪箕面の萱野村の人で赤穂出身ではなかったのですねぇ。 お父さんが仕えていた大島伊勢守の口利きで浅野内匠頭に13歳位から小姓として仕えていたのだとか。 そんな小さい頃から使えていたのならそりゃもう「殿ラブw」になりますわ。 京都から千里中央まで電車で行って、あとはバス。 そこそこ本数もあるので油断していました! 「萱野三平前」で降りるつもりが、そのバスは「萱野小学校前」にしか停まらなかった。 でも小学校からも近いはず…(地図をまたしても置いてきてしまった…) ナビを見つつ、バイパスが通るような大通りでどこの信号渡ったらいいのかわからん! 若干迷いつつ…。 「萱野三平邸跡」 …立派な標識がございました。 長屋門が大阪市指定の文化財になっていまして、家は建て直されたのですが、資料館として運営されていて萱野さんの遺品や、宿場町だったらしくその関係の品々が展示されているそうです。 んがしかし!月曜日は休み!!まぁそれはしょうがない。 着いたら何やら人だかりが…。 ロケハン!取材なのか何かの撮影なのか分かりませんでしたが、混ざって入ってしまいたかった(笑) しょうがないので近くにあるという萱野家のお墓を探して歩いてみる。 脇道はなかなか風情があって宜しい。 んで敷地も結構広い。 地図がなかったので「家から南へ数分の川べり」という情報を頼りに平日の午前中に女子一人田んぼをつっきって歩く歩く。 田舎だな~…台詞に「山科のような田舎暮らしではまぁしょうがないか」というのがありましたが「アンタの地元も結構田舎よ!」と思っちゃいました(爆) 墓地はすぐに見つかりましたが案内板がないのでどこにあるのか分からない。 結構狭いのですぐ見つかりましたが、やはり墓地なので探すのも気を使いますね。 お墓の画像はありませんが、立派なお墓で、暖かい空気がありました。 お線香を用意していなかったのが悔やまれる~。 誰かがビールをお供えしてましたが「日本酒だろ~」と一人ツッコミしつつ手を合わせてきました。 「萱野さん、どうですかねぇ?」とかまぁ色々ご相談をば(笑) お墓の後ろにはご実家があってロケーションが良かったです。春には桜が綺麗そう。 ←下にお墓があります。 遠くの住宅街に萱野さんの家があります。 午前中だった事もあって綺麗な青空でした。実はこの景色をイメージして役作りしてました。 この画像は最近まで待受け画面にして「あの青空を思い出すのよ!」と自分で自分を励ましてましたよ(笑) 切腹したのは真冬なんですけどね。 お墓参りを済ませ、ご実家へ! ←当時のままの長屋門。 門の大きさや形で身分が分かれていたそうです。 ←正面の門です。両脇に建物がありました。 結構広い家でした。お坊ちゃんです。というかそれなりの身分じゃないと仕官なんて出来ないっすね。 自害した自室のあたりをつけて心の中で手を合わせて。 どうも切腹する前日には嫁いだ姉を訪ねたそうで、ネット上では「姉様、とんとおさらばでございます」という挨拶が最後だったとあります。 夜は父と普通に夕飯食べて、次の日の朝、亡くなっていたと。 本当に一人で悩んで悩んでの自害だったのだな~と思うと切ないですな。
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